ジェフリー・シャーマンらは一連の実験をおこない,偏見の強い人々はその偏見と,それとは相容れない情報とのあいだで協和を保とうと必死になることを実証している。彼らは,X氏やミネソタのご近所の女性のように,不協和を生じる証拠をどうにか追い払ってしまおうとして,偏見と逆行する情報よりも,偏見と同異見の情報に注意を向けようとする。ある実験では,(同性愛傾向のない)学生たちに,ゲイの「ロバート」を評価させる。ロバートは,いかにもゲイのステレオタイプに当てはまる行動8つ(たとえば,創作ダンスを習う)と,当てはまらない行動8つ(日曜にはテレビでフットボールを観戦する)をおこなう人物だという。ゲイに反感をもつ学生たちはロバートについての証拠をねじ曲げ,ゲイに偏見のない学生よりも彼のことをはるかに「女性的」だと述べ,自分の偏見を保持しようとした。相容れない事実が引き起こす不協和を解消するために,彼らはこうしたものは状況による人為的なものだと片付けようとした。そうだね,たしかにロバートはフットボールを見るだろうけれど,いとこのフレッドが来ていたからに過ぎないのよ。
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.85
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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