1980年代に子どもの虐待を専門に扱い始めた多くの心理療法士は,子どもが性的虐待を受けたかどうかを判断する自分の能力に絶大な自信をもっている場合が多かった。結局,自分たちには判断の裏付けとなる長年の臨床経験があると彼らは言うのだった。しかし発表される研究は次々に,彼らの自信は誤ったものであることを教えてくれた。たとえば臨床心理学者のトマス・ホーナーらは,3歳の娘に性的暴行をおこなったとして告発された父親の裁判で,臨床専門チームが下した評価を精査した。専門家らは訴訟手続きの記録を読み直し,子どもへの聞き取りや親と子のやりとりを録画したテープを見,臨床所見を見直した。全員に与えられた情報はまったく同じだったが,性的虐待は事実だという者と実際には起きていないという者に意見は分かれた。そこでふたりの研究者はさらに129名のメンタルヘルス専門家に依頼し,この件での証拠を評価し,幼女が父親に犯された可能性を予測し,親権に関する勧告を求めた。ここでも,確実に性的暴行はおこなわれたという者から絶対におこなわれていないという者まで意見は分かれた。親権についても,父親が二度と娘に会わないようにするのを望む者と父親に全面的な養育権を与えたいとする者がいた。家庭内での性的虐待は頻発していると考えがちな専門家はどちらともとれる証拠を自説の補強に利用したし,こうした風潮が事実であるのか懐疑的な者は,暴行があった証拠とは見なさなかった。懐疑心をもたない専門家について,ふたりの研究者は「論より証拠」すなわち「見れば信じられる」をもじって,「証拠より論」すなわち「信じればそう見える」と言った。
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.152-153
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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