自分は今,不協和を感じているのだと意識できると,自動的に動き出す自己防衛システムが都合のいいようにその不協和を解消するのに任せてしまわずに,もっと鋭敏で賢明で意識的な選択ができるはずだ。不愉快でいつも攻撃的な同僚がグループ会合で画期的な案を出したとしよう。あなたには「何も知らないくせに,あんな女がいいアイデアを出せるはずがないさ」とつぶやいて,大嫌いな女だから(そして正直に言うと,部長に認められようとする競争相手でもあるから)怒りにまかせて,彼女の提案をつぶしてしまうという選択肢がある。しかし一瞬,心を鎮めて,「なかなかの提案じゃないか。このプロジェクトの仲間が出したとしたら自分はどんな気がするかな」と考えてみる手もある。それがほんとうに優れたものであったら,たとえ個人的には嫌いなままでも,あなたはその案を支持できるのだ。メッセージと,それを届けるメッセンジャーは別物と考えてもいい。
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.297
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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