1562年秋のある日,アントワープの港にイスタンブールからの織物を積んだ一隻の船が入港した。地元の大聖人が荷受け人になっていた生地のなかに埋もれて入っていたもの,それは北ヨーロッパに初めて現れたチューリップの球根であった。
生地を注文したフランドル商人は品物のなかに球根の包みを見つけて仰天したこの取引でたっぷり儲けたトルコの売り手がお礼代わりに忍ばせたらしい。ところが商人にしてみれば,そんなわけのわからない物はほしくもなかった。きっと珍しいトルコ玉ねぎか何かだと思った商人は,ほとんどを火であぶり,油と酢をかけて食べてしまった。残った分を裏のキャベツ畑に植えた。
1563年の春,このアントワープの菜園に奇妙な花がいくつか厩肥と堆肥のなかから顔をのぞかせた。トルコ玉ねぎの収穫をあてにしていた畑の主にとってはやや腹立たしい光景であったが,赤や黄色の花を付けた繊細で優雅な姿は,野菜畑のくすんだ色合いのなかでひときわ鮮やかな彩りを放っていた。商人の夕食から逃れることができたそのチューリップこそ,おそらくオランダで初めて咲いたものであったろう。さすがにそのフランドル商人も,キャベツ畑の新顔がただものではないと察して,翌日に訪ねてきた客を庭に連れ出した。
客は近隣のメケレンに住む実業家ヨーリス・ライで,大の園芸好きで知られている。もちろんライもその花とは初対面だった。北ヨーロッパではまだチューリップの存在が知られていなかったし,ゲスナーのスケッチおよび観察はまだ出版されていなかった時期である。だがライは,赤と黄色の珍しい花に価値があり,保存しなければならないことを知っているアントワープでは数少ない人物の1人であった。熱烈な植物好きで,珍しい植物を集めてはメケレンにある自宅の庭に植え,当時の著名な園芸家と頻繁に手紙をやり取りしていたライは,商人に許可を得てキャベツ畑の球根を自分の庭に移植した。そして彼は園芸仲間に手紙を書いて自分の発見を伝え,助言を求めたのである。
マイク・ダッシュ 明石三世(訳) (2000). チューリップ・バブル:人間を狂わせた花の物語 文藝春秋 pp.70-71
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