チューリップは移民だけに人気があったわけではない。古くからその土地にいた人々もチューリップに情熱を抱くようになっていた。やがてチューリップはオランダ共和国全土で栽培されるようになる。南はロッテルダムから北はフローニンゲンまで,豊富な種類のチューリップが栽培されるにつれ,専門的な愛好家の数も増加していった。ただし,オランダ共和国の愛好家は他のヨーロッパ諸国とは異なって貴族ではなかった。裕福で活動的な住民の一群からなる「門閥市民(ヘレント)」がオランダ共和国の新しい支配階級となり,チューリップの栽培を発展させた。
ふつう裕福な実業家の2代目,3代目,または法律家や医師が門閥市民になった。それぞれ債権や外国貿易,または海の埋め立てや,湖や湿地を干拓して農地に変えるような利潤の高い開発事業に投資するほどの財産家であった。毎日あくせく働かなくても楽々暮らしていける人々は,永久に続くかに見えた支配階級を形成し,地方議会や市議会の要職を独占した。
愛好家のうちで門閥市民ではない者は商人であった。裕福ではあるが,商売に精を出し,生計を立てなければならない人々である。この階級の人たちは,その職業に応じた尊称を授けられていた。たとえば,漁業にかかわるデ・ヨングという者は,「ニシンのデ・ヨング様」と呼ばれた。商人たちは商売で得た利益をまた商売に再投資することが多い。門閥市民ほど庭にかまっている時間はなかったが,それでも裕福な商人のうちで,チューリップ愛好家として名が知られる者も少なくなかった。
まさにチューリップはオランダ共和国にはうってつけの花であった。最新の流行を感じさせるだけでなく,その繊細な色合いは,庭園で咲く他の花の比ではなかった。さらにチューリップは耐久性があるので,素人でも専門の園芸家と同じく,上手に栽培することができた。もともと球根栽培は砂混じりの痩せた土壌が適しているが,オランダ共和国にはそのような土壌の土地が数カ所ある。砂混じりの土壌は特にホラント州に集中していて,レイデンからハールレムの町に至る海岸線沿いは,乾燥した白い土で覆われている。それはさらに西のアムステルダム,北のアルクマールまで続く。
だが,もっとも重要なことは,チューリップが富と趣味のよさの象徴と化したことである。1590年くらいから,オランダ共和国は,思いがけなくもヨーロッパ一裕福な国になりはじめていた。半世紀にもわたって途方もない大金がこの国に流れ込み,裕福な商人階級が大幅に増加した。美しいチューリップを手に入れようとふんだんに金をつぎ込んだのは,これら豪商であった。
マイク・ダッシュ 明石三世(訳) (2000). チューリップ・バブル:人間を狂わせた花の物語 文藝春秋 pp.110-111
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