貯蓄熱同様,ギャンブル熱はあらゆる階層にしみ渡っていた。実業家ウィレム・ウッセリンクスは,賭けた金を金庫の肥やしにするオランダ人などいなかったと述べている。つまり,裕福な商人であれば,危険を覚悟で東インド諸島への貿易船に投資して運を試した。それより下の階級に属する者たちにとっての賭け事は,前述したようなきびしい日常生活の副産物であり,混み合った国でよりよい生活を求めるための手段であった。黄金時代のオランダで宝くじはいまと変わらぬ人気を誇っていたし,賭けに勝つことは庶民にとっての甘い夢であった。
オランダ人のギャンブル好きは有名である。フランス人旅行家,シャルル・オジエは,ロッテルダムで荷物運びのポーターを見つけるのは不可能であると書いている。ポーターを1人選ぶやいなや,別のポーターがやってきて,客の職業を当てる賭けを始めるからだという。当時の記録によると,バーレント・バッカーという人物が険しいゾイデル海を越えて,テセル島からウィーリンゲンまでたどり着くという命がけの賭けに勝ったという話や,ブレイスウェイクに住む宿屋の主人,アブラハム・ファン・デル・ステーンがローマのある柱石の正確な形を当てる賭けに負けて,宿屋を取られたという話が残っている。さらに,戦中のオランダ兵士が,自分たちが戦っている戦闘の勝敗をめぐって賭けをしたとさえ伝えられている。
このような常軌を逸した賭けに比べれば,チューリップはしごくまともな投資先であった。球根栽培は週に80時間ぶっ通しで蹄鉄打ちをするより,または機織りに励むよりずっと楽な作業である。チューリップの需要は着実に増え,高級品種に限れば,価格は上昇の一途をたどっていた。オランダ国民が,ギャンブラーの夢に賭けてみることにしたのも無理はない。それは安全な賭けであった。
マイク・ダッシュ 明石三世(訳) (2000). チューリップ・バブル:人間を狂わせた花の物語 文藝春秋 pp.154-155
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