1635年の秋以降,チューリップ市場は根本的な変貌を遂げた。激増するフロリストは,愛好家の習慣などお構いなしに,まだ地中に埋まっている球根を売買する方式へと移行していった。球根は取引の単位ですらなくなり,代わって採用されたのは,商品である球根の詳細と,土から取り上げて受け渡しできる日を記した約束手形であった。混乱を避けるために,それぞれの球根が埋められた地面には,品種,重さ,持ち主の名を記した立て札が立てられた。
この新システムにはいくつかの利点があった。まず球根が秋,冬,春を通じて取引できるようになったこと。そして持ち主が代わっても球根は掘り上げ時期まで土中に残しておけること。このような点は球根を育てる技術もなく,意図もないフロリストにとって魅力であった。だがここに落とし穴が潜んでいた。買い手は,自ら球根を吟味することも,実際の花を見る機会も失ったのである。品質の保証はいっさいない。購入する球根が実際に売り手の所有するものなのか,ひいては,その球根が実際に存在するのかすら確かめることができなくなったのである。
この現象は「ウィンストハンドゥル」とオランダで呼ばれた。意味としては「風との取引」であるが,さまざまなニュアンスで用いられる。それは船乗りにとっては逆風で舵を切る困難さを表し,後世の株式仲介人にとっては,チューリップ業者が扱った品物と利益は風に舞う紙切れであったことを思い出させる警句となった。だが,当時のフロリストにとって,ウィンストハンドゥルとは,従来の規則に縛られない,取引の新形態を意味したのである。
行き過ぎたブームはそこから始まった。約束手形が導入されて取引が1年を通じて可能になったことから,投機の性格を強めていった。現物の受け渡しは何ヶ月も先であるので,売買や転売は,球根ではなく手形で行われるようになった。
マイク・ダッシュ 明石三世(訳) (2000). チューリップ・バブル:人間を狂わせた花の物語 文藝春秋 pp.165-166
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