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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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数という宗教

 ピュタゴラス学派にとって,数は単に予言するための手段ではなかった。それは人間の理性と自然の仕組みを結びつけるものだったのだ。それぞれの数は固有の性質を備えた1種の神秘的な実体だった。これらの性質を理解することによって,人は世界の仕組みを理解し,未来を予見し,神々に近づくことができるとされていた。
 モナドは,それから宇宙が生み出される「1なるもの」——単子を意味し,神々の知性と結びついている。モナドが,「2」という数——デュアドに分化することは二極化を表した。一元的なものが二元的なものへと変化したのである。したがってデュアドは易変性,つまり外見を変える能力を示すとともに,行き過ぎた不節制,闘争,不確定性——志願者が怒りや情熱を抑制する能力によって選別される教団において,これらはすべて望ましくない性質であった——をも示した。イアンブリコスによれば,「悲嘆,泣くこと,嘆願,哀願は軟弱で卑しむべき性質であり,利益や欲望,憤怒,野心,さらにおよそこれらと性質を同じくするものも総じて争いの元凶である」。「3」という数——トライアドは万象に,始まり,中間,終わり,あるいは過去,現在,未来を与える。デルポイの三脚椅子同様,これが予言と結びつけられた数だった。「4」という数——テトラドは1年を構成する四季のように完全性を意味した。すべての数のなかでもっとも偉大でもっとも完全なものは,「10」という数——デカドであった。最初の4つの数の和が10になるように,デカドも自然の法則の和であった。ピュタゴラス教団は,前ページに示すテトラクテュスとして知られる,10個の点を矢じりの形にデザインしたものを神聖な象徴として用いた。

デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.38-39
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