秩序やパターンを探し求めるのは人間の基本的な性質のようだ。宗教と同じく,科学もまた世界を体系づけて理解するという,混沌に対する一種の砦なのである。ケプラーが『宇宙の神秘』や『世界の調和』の執筆にいそしんでいるころ,彼自身の生活は完璧な混乱に陥っていた。子供のうち何人かが訳のわからぬ病気で亡くなり,移り住む先々の国は宗教戦争に巻き込まれていて,出世の道はあまり頼りにならぬ皇帝の手にあり,教会に楯突いたために大学での教職は得られず,駄目押しのように,70歳を超えた母親が町の人々に魔女呼ばわりされていた。
ケプラーの母親の件を見れば,秩序を求める私たちの願望には暗い負の部分があることがわかる。子供が訳もなく死んだり,村が疫病で絶滅したり,凶作で町全体が飢えに襲われたりしたとき,人が誰かに罪を着せたがるのは別に驚くべきことでもない。ヨーロッパ中の多くの女性同様,ケプラーの母親もそうした犠牲者の一人だった。彼女は一見したところ風変わりな理屈っぽい女性で,民間医療に興味を抱いていた。私たちならたぶん彼女のような人間のことを風変わり(オッド)と呼ぶところだが,奇数(オッド・ナンバー)が神聖で偶数(イーブン・ナンバー)が争いと結びつけられるピュタゴラス的な世界においては,彼女は偶数組に入れられるだろう。隣人との揉め事の噂に尾ひれがついて魔女呼ばわりに発展した。彼女に着せられた罪は,薬を飲ませたり殴打したりして7人を傷つけ,3人を死に至らしめ,深夜に誰かのウシにまたがっていた(このことが魔女の証拠であるというのがこの地方の言い伝えだった)ことだった。彼女は裁判が始まるまで1年以上を牢獄で過ごした。最終的に拷問と火刑を免れたのは,ひとえに息子——彼自身にも宗教的権威との意見の相違という障害があるにはあったのだが——が介入したおかげだった。当時は女性がこうした刑に処せられるのはそれほど珍しいことではなく,現実にケプラーの母親を育てたおばはそうした最後を迎えていた。
デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.80-81
PR