科学は,その現場にいるほとんどの人からは,倫理的にも政治的にも,中立と見なされている。科学的なプロセスは,合理的かつ客観的であることを目指していて,主観的な価値判断を控える。しかし,多くの人が,儲かる職業よりも科学者となることを選ぶのは,物質の性質を調べたり,病気を治したり,環境を守ったりすることで,さらに多くの幸福のために貢献したいと思うからだ。聖職者のように,より高い使命に応えていると感じているのである。量子力学が生まれ,そして特に,原子爆弾などの装置では質量をエネルギーに変換できることが発見されたのは,決定論の水を濁らせただけでなく,科学者の手を汚してしまった。世界を破壊する力がある場合に,客観的になるのは難しいことだ。原子爆弾が投下された後,アインシュタインは「彼らがこうすると知っていたら,靴屋にでもなったのに」と言った。物理学者の中には職業を変えた人もいたが,原子爆弾の発明によって,高エネルギー物理学者の採用が増えたのも真実だ。科学プロジェクトの資金を最も確実に得る方法はいまだに,ガリレオの望遠鏡と同じで,その軍事的な応用を示すことだ。
デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.122
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