同じようにフィッツロイの努力も,一般の人々や,科学界の権力層にはあまり歓迎されなかった。当時,天気の予想は占星術師のすることであって,科学的探求に向いたテーマだとは思われていなかったからだ。大衆紙は,気象庁の不正確な予報を「ザドキエルの占星暦」などの占星術師の予言と比べては面白がっていた。主流派の科学者たちは,こうしたことは自分たちの評判を傷つけるものとみていた。
フィッツロイは,占星術と比較されないように努め,余計な意味合いが強い「prediction(予言または予測)」という言葉を避けて,代わりに「forecast(予報)」という独自の用語を新たに作り出した。「預言や予言という語は,科学的な配合と計算の結果としての意見には厳密には用いることができないが,予報という言葉はそうできる」。1963年,フィッツロイは,気象を平均的な教育レベルの人々に理解可能なものにすることをめざした『気象の本』を発行した。しかし,この分野を世に広めようというフィッツロイの試みに,英国王立教会のようなエリート主義的な科学機関はさらに苛立った。フィッツロイが天気を語るのに,数学用語ではなく直感的な言葉を使ったことも役に立たなかった。さらには電信網によって「我が国の大部分に広がる大気の連続的な状態を感知する手法」を与えられたと主張したことも助けにならなかった。これは客観的というより,神秘的なことに聞こえる場合もあったからだ。
デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.141-142
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