「特定の遺伝子が特定の病気を引き起こす」という統計に基づいた主張は,よくよく検討してみるとほとんどの場合,単純化のしすぎである,とわかるものだ。生物学者のデイヴィッド・S・ムーアは「完全で包括的なヒトゲノムについての地図といえども,ある特定の人の形質——もしくは病気——についての正確な予想はできないのだ」と書いている。パーキンソン病,自殺,同性愛の遺伝子はすべて発見されたが,さらなる実験によって話はもっと複雑であることがわかり,すぐにこれらの発見はなかったことになってしまった。遺伝は明らかに重要だ——そうでなければ動物のブリーダーは職を失うだろう——が,個々の遺伝子,あるいは限られた遺伝子のセットが,私たちの未来を確定するのではない。精神病のような複雑な疾病の分子的な根本原理を見つけることに夢中になるのは,たいていの場合,世界を単純な物理的原因で説明したいという文化的な願望の反映であるようだ。そのせいで私たちがもっと意味のある問題に取り組もうとしないのなら,そうした願望を持つこと自体,有害かもしれない。
デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.218-219
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