意外に思えるかもしれないが,DNAは本のように読めるものではない。所詮は情報の連なり,1つの長文にすぎない。一連のDNAから羊のクローン作成を計画できるのなら,DNA配列から表現型を予測するコンピュータモデルを構築することもきっとできるだろう。驚異的な人間の発達——受精,胎芽,胎児,誕生という不変の段階を経る——でさえも,一連の細かい指示を実行しているかのように,反復可能な決まった経路をたどっているように見える。しかも多細胞生物の発達は「マスター分子」からの命令よりも,数多くの小さな局所の決定に負うところが大きい。接着分子と呼ばれる特定のタンパク質によって細胞が集まる,または互いにずれあうことで,組織や器官の形を決める表面やひだができる。生物学者のリチャード・ルウォンティンの言葉を借りれば,「どの段階でも,特定部位の細胞のさらなる動き,分割,分化を決めるのは細胞と組織の局所的相互作用であり,それがさらなる局所的相互作用につながる,といった具合で成体に達する」。このプロセスが機械的で,ある程度再現可能に思えるからといって,それが予測可能というわけではない。人生ゲームならば,同じ初期条件で2回始めたら,まったく同じように展開するが,そのことは将来を推測するうえで何の役にも立たない。
デイヴィッド・オレル 大田直子・鍛原多恵子・熊谷玲美・松井信彦(訳) (2010). 明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性 早川書房 pp.226-227
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