最終氷河期のあとには,それまでヨーロッパに棲んでいたサル(ニホンザルに似たマカク類)はいなくなっている。3万2000年前から始まり,1万2000年前に絶頂期を迎える最終氷河期(ヴュルム氷期)の最寒冷期では,スカンジナビア半島の氷河は南下してヨーロッパ全域を覆ってしまい,南ではアルプスやピレネーに山岳氷河が発達してヨーロッパのほとんどはツンドラとなり,スペイン半島にまでトナカイが進出した。ヨーロッパは現在のシベリアのような気候となり,ヨーロッパの温帯地域に適したネアンデルタールが生活できるような環境ではなくなった。
それまでなら,ネアンデルタールは寒さを避けて南下し,ヨーロッパ南部海岸地帯の温暖な地域や中近東に移動して生存を続けられたが,3万年前に次第に極寒の度を増すヨーロッパをさすらうネアンデルタールの前に現れたのは,新しい文化で武装したホモ・サピエンスだった。彼らは,それまでネアンデルタールがレバント地方で出会ってきたホモ・サピエンスとは,文化的レベルが違っていた。オーリニャック文化で武装したクロマニョンと名づけられたホモ・サピエンスである。
この鋭い石器を取りつけた槍を持つ恐るべき人間たちは,あらゆる大型動物との共存を拒否し,むしろそれらを征服し,絶滅させることを常に望んでいた。毛皮に覆われたネアンデルタールが彼らより大きな脳を持っていても,個の強烈な意志力と新兵器には抗することはできなかった。ちょうど,それから3万年後のアメリカ大陸での出来事のように。
もっとも,近代のアメリカ大陸でも,白人が支配的民族としてアメリカインディアンと置き換わるには数百年をかけたように,ネアンデルタールもただちにヨーロッパをクロマニョンに譲り渡したわけではなかった。南フランスのシャテルペロニアン文化は,奇妙にオーリニャック文化の要素が入ったネアンデルタールが担った文化と考えられている。そのように,この巨大な脳を持った隣人は,ホモ・サピエンスの圧迫に耐え,その文化を取り入れる能力も持っていて,オーリニャック文化を持って迫るホモ・サピエンスと,ほとんど1万年の間共存した。
島泰三 (2004). はだかの起源:不敵者は生きのびる 木楽舎 pp.223-224
PR