ヒトは炭水化物(植物から得られる)か脂肪(少数の動物から得られる)のどちらかを大量に必要とするので,植物は生命維持に不可欠の食物だ。炭水化物も脂肪もなければ,エネルギー摂取をタンパク質に頼らなければならない。過度のタンパク質摂取は中毒症状を引き起こす。タンパク質中毒の症状には,有毒レベルの血中アンモニア,肝臓や腎臓の機能障害,脱水症状,食欲不振などがあり,究極的には死に至る。そうした悲惨な結果を,北極圏での体験にもとづいてヴィルヒャルマー・ステファンソンが書き記している。収穫が少ない季節になると,脂肪がほとんど手に入らず(もとより植物はない),食事のなかでタンパク質が支配的な多量要素となる。“脂肪がふつうにある食事から急に赤身だけの食事に切り替えると,最初の数日で食べる量がどんどん増え,1週間ほどたつと重量にして当初の3倍から4倍の肉を食べている。そのころには飢餓とタンパク質中毒の症状を呈している。立てつづけに食事をとり,食べ終わるたびに空腹を感じ,大量の食物で不快な膨満感があり,気持ちが落ち着かなくなってくる。1週間から10日で下痢が始まり,脂肪をとるまでそれが治まらない。そして数週間で死が訪れる”
ヒトにとって安全なタンパク質摂取の上限は,全カロリーの50パーセント前後なので,残りのカロリーはクジラの脂のような脂肪か,果物や草の根のような炭水化物から得なければならない。北極圏やティエラ・デル・フエゴ(訳注—アルゼンチンとチリのあいだの群島)のような緯度の高い地域では,脂肪が格好のカロリー源となる。海生哺乳類が寒さから身を守るために分厚い脂肪層を発達させているからだ。しかし,熱帯の哺乳類の体脂肪率はそれよりはるかに低く——平均4パーセント程度——骨髄や脳のように脂肪の多い組織はつねに量がかぎられている。つまり,赤道付近にいたわれわれの祖先は,残りの必須のカロリーを植物から得るしかなかった。熱帯の狩猟採集民に植物は欠かせない。毎年の乾季など食料が不足する時期には,肉の脂肪率はとりわけ下がって1,2パーセントになる。そういう時期に植物から得られる炭水化物はことのほか重要なのだ。
リチャード・ランガム 依田卓巳(訳) (2010). 火の賜物:ヒトは料理で進化した NTT出版 pp.50-51
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