このテーマについて書かれたほかの著作をじっくり読み,裏付けになりそうなものを選び出した。そしてSPRを説得し,ジークムント・フロイトが1895年に発表した論文『ヒステリー研究』を会報に掲載させた。このオーストリア人が潜在意識という考えについて論じていたからである。フロイトの研究論文がイギリスの専門誌にのったのはこれが初めてだった。
フロイトはまさにこのころから,精神医学の先駆者として名声を確立していく。初めて“精神分析”という用語を使ったのは1896年で,ウィーンで医師として開業して10年目のことである。パリのジャン・シャルコーのもとで催眠術を学んでおり,のちに催眠状態を自由連想法のひとつと呼んでいる。
SPRによって初めて紹介されたときは,ロンドンに衝撃をもたらすことはなかったものの,その刺激的な理論は徐々に注目を集めていた。マイヤーズは精神作用を見つめるフロイトの革新的な方法がとくに気に入っていた。
デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.323
PR