ジェイムズは心霊研究についての最後の評論で,この活動に潔白さのようなものを期待するのは不公平かもしれないと述べている。人間の企てというのは,多少なりとも欺瞞が含まれているものだ。ときに曖昧な物言いをするのは——すなわち真と偽,善と悪のあいだの微妙な線上をさまようのは,人間性の一部なのだ。
「人間の特性は,“誠実か不誠実か”の二者択一をするにはあまりに複雑で,ぴしりと一方には絞れないのである」ジェイムズはそう述べ,偉そうな顔をしている科学でさえ欺瞞と無縁ではないと指摘する。「科学者自身——講演会などでは——実験とは失敗するものだという周知の傾向にしたがうより,いんちきをするものである」
例としてジェイムズが思い出すのは,おなじみの物理実演だった。外部にどんな力がかかろうと,重心は不動だということを示す装置を使う実演である。ところが,さる同僚がその装置を借りたところ,実演中ずっと重心がぐらついていた。そうですか,ともち主は言ったという。「実を言うと,この機械を使うときは,重心に釘を打ち込んでおいたほうがいいんです」
装置をこっそり安定させたからといって,重力の法則がなくなるわけではない。それと同じで,職業霊媒がいかさまを行ったからといって,本物の超自然現象の可能性がなくなるわけではない。ことによると,詐術は真実を裏付けるのに役立ってさえいるかもしれない。
デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.472-473
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