つまり,「研究」というのは,まだ世界で誰もやっていないことを考えて,世界初の結果を導く行為……,喜嶋先生のようにもっと劇的な表現をすれば,人間の知恵の領域を広げる行為なのだ。先生はこうもおっしゃった。
「既にあるものを知ることも,理解することも,研究ではない。研究とは,今はないものを知ること,理解することだ。それを実現するための手がかりは,自分の発想しかない」
「論文」には,世界初の知見が記されていなければならない。それがない場合には,それは論文ではないし,研究は失敗したことになる。もちろん,世界初の知見であっても,ピンからキリまである。それを評価するには,実はその発見があった時点では無理かもしれない。初めてのことの価値は,基準がないからわからない場合が多いのだ。特に,それが新しい領域における最初の一歩の場合にはそうなる可能性が高い。それでも,もちろん手応えというものがある。これは凄い発見なのか,それとも些細な確認に過ぎないのか,ということはだいたいわかるだろう。それを研究した本人だったらなおさらである。
森博嗣 (2010). 喜嶋先生の静かな世界 講談社 pp.100
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