それでも,小さいものならば,ほんのときどき掴み取ることができるものだ。
ああ,これだ,きっとこれで近づける,という感触に出会う。そういうものが幾つか集まれば,そこそこの研究成果になっていく。
大学院生の頃の僕は,まだそんな経験をしていない。ただ,問題を解いているだけのことで,神様が出した試験問題くらいにしかイメージしていない。ただ,今になって思うのだけれど,若いときには,「これは解けるはずだ」と信じることができた。そこが若い研究者のアドバンテージだ。研究者が若いうちに業績を挙げる理由は,ここにある。年齢が増すほど,解けない例を知ってしまうから,もしかして,これは無理なのではないか,と疑り深くなり,それに比例して,少しずつ研究の最前線から退くことになる。これは,自信がないという状態とはまったく違う。研究は,気合いや自信で進められるものではないからだ。
40代になれば,ほとんどの研究者は第一線から退いた状態になる。後進に引き継ぎ,自分は研究費を獲得するための営業に回るか,弟子を束ねて会社組織のようなものを築き上げ,トップに君臨する経営者としてアイデンティティを示すのか,それは人や分野によって様々だけれど,いずれにしても,もう研究者ではなくなっていることは確かだ。学会や協会などから業績を評価されて,表彰されるようなことはあっても,いくら新聞で取り上げられ有名になっても,もう現役の研究者ではない。このあたりは,例は悪いが,軍隊でもスポーツでも同じだ。載っているのは,例外なく最前線の若者なのだ。本を書いたり,テレビでコメンテータとして登場するのも,かつて研究者だった人。現役の研究者には,そんなことをする暇はない。自分の前にある問題と戦うことで精一杯だし,それが最も楽しいから,誰もその場から離れようとしない。
森博嗣 (2010). 喜嶋先生の静かな世界 講談社 pp.196-197
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