研究者が一番頭を使って考えるのは,自分相応しい問題だ。自分にしか解けないような,素敵な問題をいつも探している。不思議なことはないか,解決すべき問題はないか,という研究テーマを決めるまでが,最も大変な作業で,ここまでが山でいったら,上り坂になる。結局のところこれは,山を登りながら山を作っているようなもの。滑り台の階段を駆け上がるときのように,そのあとに待っている爽快感のために,とにかく山に登りたい。長く速く滑りたい,そんな夢を抱いて,どんどん山を高く作って,そこへ登っていくのだ。
卒論生も修論性も,指導教官の先生が作った山に登らせてもらい,そこを滑らせてもらえる。ほら,こんなに楽しいんだ。だから,君も山を作ってみなさい。そう言われて,投げ出されるのが,博士課程だということになる。
だけど,自分で作った山の方が絶対に面白いだろう,ということはもうわかっている。予感というよりも,それは確信できる。喜嶋先生が登らせてくれた山は,もの凄く高くて,周りのみんなの山や滑り台がよく見えたし,山を作っている人の姿も眺めることができた。
この「高さ」というのは,けっして研究の有名さではない。話題性でもない。研究費を沢山獲得するようなテーマが高いわけではない。言葉を逆にして,深いと表現しても同じだ。
森博嗣 (2010). 喜嶋先生の静かな世界 講談社 pp.292-293
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