オオカミがいなくなったことがシカに与えた影響は,頭数よりも心理面においてのほうが大きかったようだ。捕食者のいないこの島で,シカは夏の牧草地にいる雄牛のように堂々と草をはんだ。キャンプを張って2日後,シカはマルタンたちの手から直接,餌を食べた。マルタンは語る。「それを見てわたしははっとした。肉食動物というものは,被食者を食べる存在としてではなく,被食者の行動を抑制する存在としてより大きなはたらきをしていることに気づいたのだ」。そして,捕食者から解放されたことによる被食者の行動の変化は,食物連鎖の基盤を揺るがすほどの影響をもたらす。
「今,わたしたちに言えるのは」とマルタンは続ける。「捕食者を締め出すと高くつく,ということだ。森林野生動物も犠牲になる。オオカミを追い出すと,鳥や植物など多くのものを失うことになるだろう。なぜなら,オオカミが自然を管理しているからだ。驚くかもしれないが,わたしたちが調べたことをよく検討すれば,誰でも,過剰なシカがもたらした問題をオオカミは確かに解決するし,場所によってはそれが唯一の解決策なのだと悟るだろう」
ウィリアム・ソウルゼンバーグ 野中香方子(訳) (2010). 捕食者なき世界 文藝春秋 pp.162
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