われわれは,何かを理解したときには,なんらかのイメージを頭の中で作ることができる。それが作れないときは理解できないということである。そしてそのイメージを作るときには想像力を使っている。たとえば「黄金の山」は現実には存在しないが,想像はできる(日銀の地下の金庫に金塊の山があるのかもしれないが)。しかし「丸い四角」は想像できない。現実に存在しないばかりでなく,どのようにしてもイメージを作ることができないのである。
理解の際にイメージを作るというのは,空間的なものばかりではない。聴覚的,触覚的なものもあるし,さらには,抽象的な文を理解するときでも,われわれはなんらかのイメージを頭の中で描いている。たとえば「理解」できたと思うときのイメージであるが,これは,具体的なイメージの時もあれば,あいまいなイメージの時もある。抽象的な文を理解したときは,漠然としたイメージである。
このように,われわれは,その言葉を聞いてイメージを作れれば,理解できるという。このような理解を想像可能性と呼ぼう。
月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.20
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