先ほどメタファー表現の例として,2つの抽象的な例文をあげた。あれを見てもわかるとおり,抽象的な表現は一般にメタファー表現でなりたっているのである。抽象的な表現は,現実的な物理世界に対応物がないので,われわれは仮想的身体運動ができない。すなわちイメージを作れない。このような直接的に身体運動できない領域を抽象的領域という。抽象的な領域は,たとえば,文化,経済,政治,理論などである。抽象的領域のイメージは,メタファー表現を通して,具体的領域のイメージを使って作られる。
容器のメタファーによる抽象的表現を見てみよう。次の文は,先に示した具体的表現と対応する形で作ってみた。
「私の心は満たされない」(心が容器)
「彼は選抜チームから外された」(チームが容器)
「その論文には中身がない」(論文が容器)
「彼は試験中である」(試験が容器)
「この料金には消費税が含まれている」(料金が容器)
みなさんは,これらのような文を読むときに,とくにイメージを意識的に作って理解しているわけではないだろう。しかし,その理解の基板には,容器のイメージがあることがわかるはずである。
月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.70-71
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