彼らは「真実」を求めているのだ。UFOの謎に頭を悩ませ,単純明快な論理ですべてを説明することを夢見ているのだ。「誰かが真実を隠している」「誰かが我々を騙している」という説は,安直であるがゆえにアピールしやすい。隠されている真実さえ明らかになれば,すべては単純明快であったことが判明するだろう……。
陰謀論というのは宗教に似ているー私はふと,そう気づいた。
この世は混迷に満ちている。多くの悲しむべき出来事,不条理な出来事が常に起きている。戦争,災害,不景気,伝染病……そこにはなんの秩序も基準も見当たらない。どんなに正直に慎ましく暮らしていても,天災であっさり死ぬことがある。悪人が罰を受けることなくのさばることがある。人の生や死というものには,結局のところ,意味などない。
しかし,多くの人はそれに納得しない。自分たちの生には何か意味があると信じたがる。この世で起きることもすべて,何か意味があると考えたがる。偶然などというものはありえない。どんな事件にもすべてシナリオがあるー誰かが仕組んだことなのだ,と。
阪神大震災が起きた時,オウム真理教は「地震兵器による攻撃だ」と主張した。そのオウム真理教事件は,一部の陰謀論者に言わせれば,フリーメーソンや北朝鮮の陰謀なのだそうだ。1996年にO-157が流行した時も,2005年にインフルエンザが流行した時も,やはり陰謀説を唱える者が現れた。こうした説は決して近年の流行ではない。14世紀にフランスでペストが大流行した時,「ユダヤ人が井戸に毒を流しているからだ」という噂が流れ,大勢のユダヤ人が殺された。1853年,長崎にコレラが流行した時も,「イギリス人が井戸に毒を流している」という噂が広まった。1995年,エボラ出血熱が流行したザイールでも,「医者が病気をばらまいている」という噂が流れた。時代や民族を問わず,人は大きな災厄に接すると,「誰かのせいだ」と考えたがるらしい。
考えてみれば,ノアの洪水の伝説も,そうして生まれたのではないだろうか。昔の人にとって,自分たちの住む地域が「全世界」であったろう。自分たちの住む地域に洪水が起きた時,「全世界が洪水に見舞われた」と思いこんだろう。生き残った人たちは考えた。なぜこんな悲惨なことが起きたのか。誰が何のために私たちの隣人を殺したのか……彼らはその不条理な悲劇を合理的に説明するため,物語を創り上げたのだろう。「死んだのはみんな悪い人たちで,神は彼らを罰するために洪水を起こしたのだ」と。
そう,宗教とは「神による陰謀論」なのだ。災厄を起こしたものの正体が人であれば陰謀論になり,神であれば宗教になる。それだけの違いだ。
そう考えれば,カルトを盲信する者がしばしば陰謀論を唱える理由も説明がつく。神を信じる心理,陰謀を信じる心理は,結局のところ同じメカニズムによるものだからだーすべてにきっと意味があると考えたがる心理。
あいにくと私にはそんな心理はない。災厄は意味も理由もなく起こるということを,子供の頃に知ってしまったからだ。
山本弘 (2003). 神は沈黙せず 角川書店 p.83-84.
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