さて,日本語の文法における主語について,もう少し見てみよう。
「月が出た」
この「月」が主語であることに疑問をもつ読者はいないであろう。それでは,
「月が見える」
この「月」はどうであろうか。これは主語であろうか。主語であるという言語学者はいる。しかし「月が見える」という文が示唆する状況は,私が月を見ているということである。したがって,「月が見える」の「月」は「月が出た」の「月」とは違う。それではこの「月」が主語でないならば,いったい何なのであろうか。目的語であるという言語学者もいるし,対象語であるという言語学者もいる。あなたは直感的にどの意見に賛成するであろうか。
このように,日本語の文法に関してはいくつかの理論が存在し,一致した見解が存在しない。しかも,その不一致は枝葉末節での不一致ではない。「月が出た」の「が」の解釈で見たように,かなり基本的なところで一致していないのである。
月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.141
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