相手と話をするときに,私のほうがあなたより偉いとか,あなたのほうが私より偉いとか,そういったことをいちいち表明しながら,話をしなければならないのが日本語である。会社で上司に「あなたは……」と言うだけで,多くの上司は不愉快になるであろう。「あなた」と呼ぶ,ただそれだけでも,批判的な感じの発言になってしまうのである。言い換えれば,「あなた」と言うだけで,会社での上下関係の外に出ようとしていることの意思表明みたいになってしまう。日本語は疲れる言語なのである。
この非常にたくさんある日本語の人称は,外国人にきわめて評判が悪いらしい。そうであろう。こんなに多くの人称をうまく使えるようになるには,よほど勉強しなくてはならないし,それよりも,そもそもなぜ,話をするときにいちいち人間関係を確認しなければならないのであろうか,と思うであろう。
日本語の人称の多さは,認知的主体と言語的主体が連続していることから説明できる(以下では一人称で説明する)。
日本人の脳は,認知的主体と言語的主体の連続性が大きいので,認知的主体の状況が言語的主体の表現に反映される。言い換えれば,言語的主体が認知的主体の状況をひきずりながら表現されるのである。だから,各々の状況での人間関係の認知が言語的にも表出されてしまう。たとえば,会社員は,上司の前では「私はあなたの部下である」という認知を持っている。そして,この認知が言語的主体の表現にも姿を現すのである。言い換えれば,部下意識と切り離して言語的主体を表現するのが苦手なのである。
月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.206-207
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