20世紀に入り,科学の発展が,個人の趣味から高級な職業へと進む過程をほぼ完了した。しかし,ガリレオはタスカニー大公によって上流社会の生活が保障されるよう援助を受けていたし,チャールズ・ダーウィンは,裕福なウェッジウッド一族に生まれ,科学によって生活の糧を得なければならないという心配はなかった。また,グレゴール・メンデルもブルノにあるアウグスチヌス会の修道院で経済的な心配もなく研究を続けられていたのである。20世紀の今日,装置の購入費や技術員の人件費がかさみ,科学は完全に個人的研究の枠外へと追いやられた。個人の収入の多寡とは全く無関係に,自然に対する好奇心を維持することができた伝統は,はるかかなたへ置き去りにされてしまった。現在,ほとんどすべての科学者は,職業としての科学に従事し,才能によって生活の糧を得るのである。政府の支援の下にあろうと,産業界の支援の下であろうと,彼らは明白な成果や短期的な成功に対して報奨を提供する職業構造の中で働いているのだ。今日,研究業績の評価を後世の科学者に委ねられる科学者はほとんどいない。そんなことをすれば,大学は終身在職権を拒否してしまうかもしれないからだ。成功が間近いか,既に成功している研究者でなければ,連邦政府からの研究助成金はたちまち底をついてしまうのである。
ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド 牧野賢治(訳) (2006). 背信の科学者たち:論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか 講談社 pp.57
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