老人が若者の考えに反抗するのは常であり,科学においてもそれは同様である。「普通,いかなる専門分野においても,頑固な老人たちに支配されている大学や学識者の社会は,物事の常として,新しい考えに反応するのが遅い。なぜなら,ベーコンが言うように,過去の業績によって高い栄誉を得た高名な学者たちは,進歩の潮流に追いつけないことを認めたくないからである」と生物学者ハンス・シンサーは言う。同じような考えをより強烈に表現したのは,量子力学の創始者であるドイツの物理学者マックス・プランクである。彼は有名な一節の中で,科学における古い考えは,それに固執する人びとと共に滅びると言明した。「重要な科学的改革というものは,徐々にその支持を勝ちとったり,反対者の意見を変えさせることによって認められることは非常にまれなことである。つまり,サウロ(キリストの使徒パウロの最初の名前)はパウロにならないのである。実体はそういう古い世代が死に絶えてゆき,最初から新しい考えになじんだ新しい世代が増えてゆくのである」。知的な抵抗といえども,死という説得者の前には無力なのだ。しかし,あらゆる領域の中で,何ゆえ科学においてそのような例がみられるのであろう。
科学は普遍的であるという主張にもかかわらず,社会的,専門的な立ち場が,しばしば新しい考えを受け入れることに影響を及ぼす。革命的な新しい概念の創案者が,自分の学問領域のエリート社会の中で低い地位にあったり,他の領域からの新参者であった場合,その考えは真剣な検討の対象とはまずなりえないであろう。それが真価においてではなく,その創案者の社会的業績によって判断されてしまうからだ。しかし,学問を進歩させる独創的な考えに貢献するのは,たいていその学問領域における確立された競技に洗脳されていない部外者か,もしくは他の学問領域から来た新参者である。この事実こそ,新しい考えに対する抵抗が科学史の上で常に問題となる原因なのだ。
ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド 牧野賢治(訳) (2006). 背信の科学者たち:論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか 講談社 pp.210-211
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