どのようにして,科学研究の場で師弟関係が堕落したのか。20世紀初頭,研究は多くの学者にとって天職であり,科学することに必要なものは,すぐれた頭脳と,科学機材店で調達するわずかな器具であった。ところが,科学の専門家,細分化が進むにつれ,また,研究用の実験室の設備費用が増大するにつれ,研究者としての道を歩もうとする若い学生は,学問上の師のみならず,大きな政府助成金を獲得できる財政的支援者を見つける必要が大きくなった。支援者は助成金が常に途絶えないようにし,自分の報酬に見合った仕事をするために,絶えずめざましい業績を生み出す方策を探らなければならない。確かに,研究室の責任者が自分の研究チームに学問的指導を与えている限り,このシステムに何ら問題はない。しかし,この単調で退屈な仕事に安易な出口はない。もし,研究室の責任者の注意がどこか他へそれたり,あるいは,自分の創造的エネルギーが低下してしまったとなれば,弟子の研究を自分の手柄にしてでも,現在手にしているものを守り続けたいという欲望に駆られることであろう。そして,自分にこう言い聞かせるのだ。「結局,私の名前を使わなければ,彼らが研究するための金は手に入らないのだ。しかも,私のすべての時間を助成金獲得のために使わなければ,私もまたベンチに引っ込まなければならなくなってしまう」。
ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド 牧野賢治(訳) (2006). 背信の科学者たち:論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか 講談社 pp.232-233
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