日本のパチンコ店は在日の人が多いので,日本では,その関係で韓国で流行らせたと誤解する人が多いが,そうではない。
反日ムードが今でも多少あるから,玉を弾く日本のパチンコは最初から許可されなかった。日本にいる業者が,韓国へ行って流行らすほどの状況にはなかったのである。
日本のパチンコ台を改造した「メダルチギ」は,現地の人が考えたものである。もちろん換金は法的には禁止であった。
だが実際には,日本の三店方式と似たやり方で換金していた。大当たりすれば,台から商品券が出てくる。その商品券を,店の外にある通称「ボックス」と呼ばれる一坪あまりの小屋に持っていくと,現金と引き換えることができた。
換金所では,10%の手数料を取って商品券を現金に換えていた。
1枚5000ウォンの商品券を4730ウォンで買い取り,これを同額で娯楽室(ゲーム場)に販売し,ゲーム場ではこの商品券を景品として使用する。まったく日本と似たやり方であった。
1日5000枚を換金した場合,100万から400万ウォン(約10万から40万円)が手数料として落ちてきたことになる。日本と同じように,換金所は,ゲーム場とは無関係ということになっていた。
換金所の場所はゲーム場では教えることはなかった。「外の客に聞いてくれ」と言われた。これも日本と同じである。
若宮 健 (2010). なぜ韓国は,パチンコを全廃できたのか 祥伝社 pp.23-24
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