ヨーロッパ人にとって,アメリカ的なキリスト教は,もはや自分たちが知る宗教ではなく,「アメリカ新宗教」としか言いようのないものになっている。このアメリカ新宗教は,魂の救済よりも,むしろ幸福の追求を第一とする。つまり,アメリカにおける宗教活動は,一般に,非常に現世的な営みなのである。
だから,アメリカの各教会は,宗派ごとに分かれているだけでなく,階級や人種といった現世的な指標によっても明確に区別されている。宗派別で見れば,聖公会,長老派,メソジスト,バプティストの順に,平均収入も平均学歴も上である。人々は,社会的地位が変われば,しばしば,所属する教会や,時として宗派をも変えてしまう。事実,所属宗教団体を変えたアメリカ人の割合は,三分の一にも上っている。バプティストのコミュニティーに生まれた者でも,社会的にのし上がると,長老派のコミュニティーに宗旨替えするといった次第である。
つまるところ,アメリカでは,教会もまた,自分たちの権利や主張を発信するための自発的集団なのだ。したがって,各教会や各宗派は,ヨコの争いの中で,非常に厳しい競争関係に置かれることになる。だから,アメリカの聖職者は清貧であってはならない。貧しい牧師は敗者なのだ。宗教市場において,いかに多くの信者=顧客を集め,いかに多くの寄付金=売り上げを集めるかが,聖職者=ビジネスマンにとって非常に重要なのである。
ちなみに,ヨーロッパの教会では,お祈りの後,参列者の席に籠や壺が回ってくる。参列者たちは,そこに教会への寄付の小銭を入れる。一方,アメリカの教会では,しばしばカード払いの記入用紙が配られる。アメリカ新宗教は,ほとんど商売なのである。
薬師院仁志 (2005). 英語を学べばバカになる-グルーバル思考という妄想- 光文社 p.163-164
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