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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ミニヨネット号の悲劇と偶然

 1884年,17歳のリチャード・パーカーは家出して船に乗り,ミニヨネット号のキャビンボーイになった。乗組員は他に,船長のトーマス・ダドリー,航海士のエドウィン・スティーヴン,エドムンド・ブルックスがいた。船はサウサンプトンを出発し,オーストラリアに向かった。
 沖合3000キロの南太平洋上で,ミニヨネット号はハリケーンに襲われる。そして船は巨大な波にさらわれ沈没した。混乱の中,救命ボートに乗り込むのが精一杯だった彼らに,食糧や水を持ち出す余裕はなかった。持ち出せたのは,小さなカブラの缶詰が2缶だけだった。
 乗組員たちは,ほとんど飲まず食わずで19日間を過ごし,絶望的になっていった。そんななか,リチャード・パーカーが海水を飲んで錯乱状態に陥る。ダドリー船長は,乗組員が生き残るために,その食糧となって犠牲になる者をくじ引きで選ぼうと考えた。ブルックスは何があっても人を殺すのには反対した。スティーブンはどっちつかずの態度をとっていた。最終的に船長が,扶養家族もいない死にかけのキャビンボーイを殺す決断を下した。 
 乗組員たちは,眠っている少年に向かって祈りをささげた。ダドリーが彼の肩を揺さぶり,言った。「リチャード,その時が来た」。3人の船乗りはリチャードの遺体を食べて生きのび,35日後に1隻の船に救助される。船の名前が暗示的で,モンテスマ号といった。モンテスマはアステカの人食い王の名前である。
 その後に開かれた裁判は,ヴィクトリア女王次代の社会を騒がせ,イギリスの人食い事件としては最も多くの記録が残されることとなった。ダドリー,スティーブン,ブルックスの3名は,それぞれ6ヶ月の重労働を言い渡され,その後に国を出て行った。
 しかし,この物語はその最後に不思議な展開を見せる。そのおぞましい事件の半世紀前の1837年,エドガー・アラン・ポーは『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』を執筆している。この小説は,4人の遭難した乗組員が長い飢えに苦しんだ後,食糧となるべき人間をくじ引きで決めるという話である。
 小説では,キャビンボーイが短いワラを引き当てる。その名もリチャード・パーカーといった。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.171-172
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