偶然はさらなる偶然を生み出すようである。
クレイグ・ハミルトン・パーカーの祖父は,若きキャビンボーイ,リチャード・パーカーのいとこだった。クレイグは,自分の祖先の悲劇に続く一連の偶然をすべて記録に残した。
「ポーの小説と実際の出来事が繋がっているのに初めて気づいたのは,いとこのナイジェル・パーカーだった。彼はそれをレポートにまとめ,アーサー・ケストラー氏に送った。そして,それは1974年5月5日のサンデー・タイムズ紙に載った」
「ケストラーは,新聞記事のその後を追う『偶然の本質』(邦訳,蒼樹書房)の作者で,その彼がエディンバラ大学のジョン・ベロフに何げなくその話をし,そしてベロフがその日のうちに記事を書いた」
「ナイジェルの父のキースは,リチャードの物語がラジオドラマで使えるネタだと考え,梗概を作りはじめた。その当時,彼は作家としての収入を補うために,マクミラン社が出版した本の論評を書いていたが,そもそも最初に郵便で送られてきた本が『ミニヨネット号の遭難』だった。数週間後,彼は別の論評を依頼された。それは小演劇のコレクションのひとつで,題名は『いかだ舟』。子どもたちのための喜劇だったので,不吉な要素はまったくなかった。ところが,表紙絵はその内容とはかけ離れていて,3人の男たちが若い少年を脅している絵だったんだ。しかも,『いかだ舟』の作者は,リチャード・パーカーという人物だった」
「1993年の夏,私の両親はスペイン語学科の女子学生を下宿させていた。ある日の夕食の席で,父が彼女たちにリチャード・パーカーの話をしたんだ。うしろではテレビがついていた。みんなの会話が止まったのは,テレビのローカル番組がまったく同じ話を始めたときだ。しばらくして,父がその沈黙を破って,リチャードの話をするときは必ず奇妙な偶然が起こるんだ,と言った。それからエドガー・アラン・ポーにまつわる話を始めた」
「すると,2人の女子学生が真っ青になった。『ねえ,ちょっと,私が今日買ったものを見て』とそのうちのひとりが言った。彼女はかばんからポーの小説を取り出した。『じつは私もなの』。もうひとりが言った。2人ともその日,別々にショッピングに出かけ,リチャード・パーカーの話が載ったまったく同じ本を買ってきていたのさ」
マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.173-174
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