私には,その感覚がよくわかった。ある催眠療法の専門家から退行催眠をかけてもらったとき,普段の状態とまったく変わらなかったからである。地下室の階段を降りて,前世の扉を開ける暗示をかけられてゆくと,たしかにある映像が浮かんできた。といっても,それはセラピストに気を使って記憶と想像力を駆使した結果で,自然に浮かび上がったわけではなかった。
「あなたは暗示にかかりやすい」
と,セラピストが満足そうに誘導してくれたので,私は,仕事熱心な彼に向かって「催眠に入っていない」とは言い出せなかったのである。そのため,過去に遡ってゆく暗示をかけられて,質問を受けるたびに苦労した。
「今の年号は?将軍は誰ですか?」
とセラピストから質問されると,日本史の口頭試問を受けるような気分に陥っていた。まさか図書館に行って調べてくると言うわけにもいかず,困ってしまった。まるでクイズ番組に出演して,答えられずに恥をかいているような気分だった。私は,一代前の前世が死ぬ場面のことを問われたとき,年号や年齢に関して致命的な計算ミスを犯した。私の前世だったはずの人物は,何と私が中学生まで生きていることになってしまったのである。
福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.161
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