ごく普通の人間は,日常の不満を友人にこぼしてゆく過程で共感を得たり,話し相手の反応によっては我が身の身勝手さに気づいてゆく。
日本は,西洋社会のようにカトリックの伝統的な儀式である「告解」という習慣がなく,精神分析をはじめとする心理療法が育つ土壌がなかった。それに,無形のものに料金を支払う発想にも乏しい。料金を払ってまで専門家に話を聞いてもらう発想が理解できないのだ。が,その反面,宗教団体に資財を投ずる信者はいる。戦後,新興宗教団体は,「病,貧,争」を満たす機能として信者を急増させた。物質文明は米国に倣ってもキリスト教は根づいていない。こと心を癒す装置は輸入しなかった。神経症に悩む者は,精神分析ではなく,呪術的な宗教に大挙して押し寄せる。
ところが,米国の自己啓発セミナーは,マルチ商法の販売員を洗脳する目的で普及してきた背景があった。日本の勧誘セミナーは,商品を介在しない「心のマルチ商法」にすぎない。それに解放感に浸るのは,せいぜい2,3ヵ月である。大方の参加者は一時的に周囲から奇異な視線にさらされるが,そのあとは完全に元の状態に戻ってしまう。
問題なのは,自己啓発セミナーが心理療法の肩代わりをしている点であった。本来なら,精神科医やカウンセラーのもとを訪れるはずの患者が,「自己啓発」という前向きな響きに惹かれて,その実,心理療法を欲している。霊能者のもとを訪れる者も,例外なく精神的な悩みがあった。医者から見放され難病に喘ぐなど,気の毒な境遇の者も少なくない。
福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.174
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