アルキメデスがエラストテネスに宛てた手紙は保管こそされていたものの,けっして安全ではなかった。時代は変わりつつあり,それもアルキメデスに有利には働かない。古代世界の学府を支えた偉大な著作やよりどころとされてきた書物が,つぎつぎと侵入者たちに略奪されていったからだ。ローマは410年にゴート人の,アンティオキアは540年にペルシャの,アテネは580年にスラブ人の侵略を受けている。アルキメデスの手紙の写本は,3世紀にはアレクサンドリア以外の都市にも数多く残っていたかもしれないが,6世紀末にはほとんど失われていた。アレクサンドリアでさえ,状況はあまりよくなかった。270年ごろにはローマ皇帝アウレリアヌスが,パルミラ女王ゼノビアとの戦争中に博物館を含む王宮の大部分を破壊。391年にはアレクサンドリア大主教テオフィロスが,博物館の分館であるセラペウムを攻撃した。415年には無学の狂信的なキリスト教徒らが,有名な女性数学者ヒュパティアを八つ裂きにした。同じような目にあう前に,アルキメデスの手紙もアレクサンドリアから逃れなくてはならなかった。
リヴィエル・ネッツ,ウィリアム・ノエル 吉田晋治(監訳) (2008). 解読!アルキメデス写本:羊皮紙から甦った天才数学者 光文社 pp.113
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