どちらの考え方が正しいか?われわれは独立した存在か操作された機械か,また確固たる自己か影のような自己か?両立論者にとっては,自由意志が因果関係世界と共存でき,また実際に共存するが,自由な姿勢をとる余地がある。しかし決定論者には,自由意志は幻想であり,自由意志の霊的概念を主要な位置に高めること,そして,われわれが本来持っていないと考えるものを讃えることは理解できないのである。したがって,決定論は,より権威主義的な政治姿勢に伴うと予想できる。これは正しいと思われる。19世紀と20世紀初頭に科学が地位を確立し,政治に対する決定論のインパクトが増大した。マルクスの歴史の力に関する決定論的学説は,共産主義による全体主義的悪夢をもたらし,人種は性格に対する固定的な決定要因であると主張した生物学的決定論は,反ユダヤ主義者の憎しみをいっそう増大させ,ホロコーストに手を貸した。
決定論は人類に対する犯罪を促進し得るが,常にそうとは限らない——または,哲学的立場として放棄されなければならないことを意味しない。もし自由意志が幻想であるとするならば,そしてもし可能ならば,われわれは単に,われわれの政治が過剰にそれを持たないように認識すべきである。しかしながら,この結論は,偽の両立主義に依存しており,ある意味で最後の手段である。したがって,次の段階としては,因果関係の世界において自由意志が本当に残っていけるのかを考える必要がある。
キャスリン・テイラー 佐藤敬(訳) (2006). 洗脳の世界——だまされないためにマインドコントロールを科学する 西村書店 pp.250-251
(Taylor, K. (2004). Brainwashing: The Science of Thought Control. London: Oxford University Press.)
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