原因は様々な特色を持って現れる。あるものは,拷問,いじめ,禁止法のように,明らかに対外的であり,かつ自分の行動を選択する自由に対して明確に抑止的である。あるものは内的で,脳の疾患や薬物の影響のような,自分自身の外部のものと考えられるものではない。しかし,われわれの原因とは,われわれが行動を選択する理由である。それらはわれわれの自由を制限するものではなく,それらが無ければ,自由は無意味なのである。洗脳が恐れられるのはこのためで,それは,われわれを翻弄して,新し信念が実際に自分のものであるとする定義はさまざまである。「もしあなたが<自分>の範囲を狭めると,実際にはすべてが外部のものになる」ので,自分の欲求でさえ外的になり,もはや自分のものではなく,自由に対する制限になってしまう。嗜癖と,食思不振のようなある種の病気は,このように考えられることが多く,自己が縮小して自由は放棄され,それによって責任回避が起こる。この縮小過程が誇張される危険性は,自己がデカルト的立場にまで減少し,運命に左右されてほとんど自ら行動することのない見当違いに至ることにある。しかし,必ずしもそのようになるとは限らず,決定論の原則には,われわれを強制的にデカルト的二元論者に変えるものはない。
キャスリン・テイラー 佐藤敬(訳) (2006). 洗脳の世界——だまされないためにマインドコントロールを科学する 西村書店 pp.259
(Taylor, K. (2004). Brainwashing: The Science of Thought Control. London: Oxford University Press.)
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