枠は偏見に比べると巧妙で検出が難しい。それらはまた,メディア情報源相互間で一致している。ストリートは,「枠は世界を特定の見方で見る方法だが,それらは単一の概念的立場をとらないという意味で偏見の概念とは異なる」と示唆している。そればかりか,例えば「ニュース記事」などは,メディア研究によるとまさしく物語なのである。他の物語と同様,深く定着した仮定(因果関係,倫理観,社会的関係などに関する)に起因する特異な語りの構造を持っており,矛盾し無関係な情報は無視している。ニュースを伝える者を含めて物語作者は,自分たちの多くのひな形を自由に使うことができ,自分が言わんとする物語,「英雄ブラボー」,「官僚的無能」,「やっかいな対立」などを構成するのに最適のひな形をどれでも使うのである。個々のひな形——枠——は,それと結びついた特別の言語をもっている。例えば,病気で亡くなった子供の場合は,ご両親にとって歓喜の源であり,勇敢で,なにより道徳的に高潔であった子供が,今や悲劇の主人公としてご両親を嘆かせているというような表現になる。間違いなく,時にその子供の小さな妹を叫ばせ,不機嫌にし,よろめかせる——子供はそういうものだ——が,お定まりの観察は枠には合わないので,そのようなレポートでは扱われない傾向がある。もし子供が見知らぬ人間に殺された場合には,悲劇と道徳的高潔の要素は残るが,勇敢さの代わりに無垢が入り,それに対応して殺人者の非人間性が持ち込まれる。
キャスリン・テイラー 佐藤敬(訳) (2006). 洗脳の世界——だまされないためにマインドコントロールを科学する 西村書店 pp.297-298
(Taylor, K. (2004). Brainwashing: The Science of Thought Control. London: Oxford University Press.)
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