それでも科学がすべての問いに答えられるわけではない。科学によって(この時点では,すべての病気を説明できるわけではないが),人々がなぜ,どのように病気になるのかがわかる。しかし,若い女性がどれだけつつましく振舞うべきかはわからない。これは科学で判断できる主題ではない。科学の限界は私たちの文化では問題になる。それはまさに,私たちが科学に高い期待を抱いているからだ。私たちは,病気になったら,医師が判断を下し,悪いところを治療してくれると期待し,そうならないと苛立つ。社会的パターンを明らかにする研究や,リスクを評価する研究まで利用して,どう振舞うべきかを提示する。私たちの社会はデーター統計ーを,完全な答えでなくても少なくとも,さまざまな問いの答えを考えつくうえで重要な情報を与えてくれるものとして扱う。そうした問いには,必ずしも科学の守備範囲におさまらないものが数多く含まれる。
統計と向き合うとき,極端な相対主義と極端な絶対主義の両極を避けなければならない。統計が社会の産物であること,そして,統計が,どのような手続きによって作り出されるかに左右されることを覚えておかなければならない。しかし,科学が,証拠を評価する術,数字の正確さを評価する術を与えてくれることも理解しなければならない。こうした点は,統計をめぐって意見の不一致が起こるときとくに大切になる。
ジョエル・ベスト 林 大(訳) (2007). 統計という名のウソ 白揚社 pp.207-208.
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