そもそも,意図せずして「優しい関係」の規範に抵触してしまうのは,それだけ互いのコミュニケーションへ没入できていないことの証拠でもある。したがって,そのこと自体が,「優しい関係」の維持にとって大きな脅威とみなされる。「優しい関係」は,強迫神経症のように過同調を互いに煽り合った結果として成立しているので,コミュニケーションへ没入していない人間が一人でもいると,その関係がじつは砂上の楼閣にすぎないことを白日の下に晒してしまう。王様が裸であることに皆が気づいているが,それを指摘するようなシラけた態度を誰も示してはならない。「優しい関係」を無傷に保つためには,皆が一様にコミュニケーションへ没入していなければならないのである。
このような意味において,昨今のいじめ問題は,誰もがコミュニケーションへ没入せざるをえない今日の人間関係のネガティブな投影でもある。昨今のマスメディアでは,コミュニケーション能力の未熟さから若者達の人間関係が希薄化し,いじめをはじめとする諸問題の背景になっているとよく批判される。しかし,このように見てくると,実態はやや異なっていることが分かる。彼らは,複雑化した今日の人間関係をスムーズに営んでいくために,彼らなりのコミュニケーション能力を駆使して絶妙な対人距離をそこに作り出している。現代の若者たちは,互いに傷つく危険を避けるためにコミュニケーションへ没入しあい,その過同調にも似た相互協力によって,人間関係をいわば儀礼的に希薄な状態に保っているのである。
土井隆義 (2008). 友だち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル 筑摩書房 pp.46-47.
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