大学院(グラデュエート・スクール)という,研究と研究者・大学教員養成に特化した組織は,「カレッジからユニヴァーシティへ」の転換をはかるアメリカの大学が,ドイツの大学にならって創設したものとされている。しかし当のドイツの大学には,大学院に相当する組織や教育課程はなく,帝国大学の大学院(「ユニヴァーシティ・ホール」と英訳されていた)のモデルがどこにあったのかははっきりしない(寺崎,1992,54-55ページ)。
ただ,アメリカ同様わが国の場合にも,教育機能のみを持つ「カレッジ」的な大学から,研究機能を重視する,つまり知識の伝達だけでなく,創造の機能を重視する,真の(ドイツ的な)「ユニヴァーシティ」へと転換をはかろうとしたとき,研究と研究者養成の場を設置する必要性が痛感されたであろうことは,想像に難くない。いやそれ以前に,1日でも早く外国人教師依存の教育体制から抜け出し,国内でも将来の教員を養成する努力を始める必要があった。東京大学時代の明治13年にはすでに,学部卒業ごさらに研究を深めたいとする学生のための「学士研究科」が開設されており,官費研究生の枠も設けられていた。
天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.99
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