教員養成の役割を担う師範学校について,高等・尋常の別が設けられたのは,明治19年の「師範教育令」によってである。尋常師範学校では小学校,高等師範学校では師範学校(および中学校等)の教員養成というのが,その与えられた役割であった。各府県に1校置かれた尋常師範学校は入学資格等からするとき,中学校とほぼ同一水準の学校であったから,高等教育機関と呼びうるのは東京に置かれた唯一の官立高等師範学校だけということになる。この学校はもともと小学校教員の養成を目的に設立されたものだが,明治8年には,中学師範学科を開設して中学校教員の養成を開始していた。
中学校をはじめとする中等学校の教員は,医師や法律家に準ずる,近代社会の主要な専門的職業のひとつである。その教員をどのように養成するのか。明治5年の学制は,中学校の教員について「大学免状ヲ得シモノニ非サレは,其任ニ当ルコトヲ許サス」と規定して,大学による養成システムを構想していた。しかし,大学そのものがまだ設置されていない時点で,それは空文に過ぎず,その空白を埋めるために中学師範学科が設置されたものと見てよい。
天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.120-121
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