義塾の利点は,独自の中等教育の過程を置いて,というより英語教育重視の高等普通教育を行なう従来の義塾を基礎に,専門教育を開始した点にある。その義塾出身者に入学試験によって選抜された外部生をあわせて,初年度には59名が入学した。「大学部」は発足時から,英語による専門教育を受けるに十分な,学力の高い学生を持つことができたのである。
ただし,中等教育に相当する義塾の高等普通教育の課程である「正科」の卒業者が,入学者の半数近くを占めたのは最初の年だけで,その後は外部からの入学者を大きく下回り,20名に満たない年もあった。しかも学生数が当初予定した300人はおろか,100人にも満たない時期がその後も長く続いた。とくに文部省の「特別認可」を受けなかった法律科は不振を極め,在学者数は10人前後で推移しており,募金によって作られた折角の基金も,次第に取り崩しをせざるを得ない状況に追い込まれていく。
この時期すでに私学の雄とみなされていた慶應義塾ですらこのような困難な状況にあったのだから,他は推して知るべしである。わが国の私学にとって,「大学」への道は遠かった。
天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.157-158
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