リアリティを追求すると何が起きるか?一例として,こんな話があります。
ある落語家が,『船徳』を高座にかけたんです。噺の最後のほうに船に乗ってた男が川の中をジャブジャブと歩く場面があるのですが,彼は「川底にあったガラスで足を切っちゃった」って演出を入れたんですよ。実際に昔はそうしたことがよくあったからってことで。確かにそれはリアルかもしれないけれど,聞いているお客さんは不快でしょう。足を切って,血を流しながら「アイタタタタッ」なんてシーンは誰だって想像したくない。
だから私は,「リアリティ」よりも「らしさ」のほうが大事じゃないかと思うのです。いかにも川に入ったらしい様子や,麩を開けたらしい仕草,子どもらしい動き……。すべてが現実に即していなくても,「なんとなく,それらしい」というニュアンスのほうが,聞く側にも共通認識が生まれるのではないかと。また,想像の余地も与えるはずです。同じ酒を飲む行為だって,人により違いはあるでしょう。それを「酒を飲むってのは,こういうこと。これがリアル」と言われたところで,万人に通じるとは限りません。
柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.65-66
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