しかし,このような印象ほど,真実からかけ離れたものはない。すべてのぼう大で,かつ巧妙な作業や,今引用した多くの手法は,シィーの場合,像にもとづいて記憶を行うという特徴をもっている。言いかえるならば,それは,私が,この章の題名で,独自の「イメージ技術」と名づけたように,得た情報の論理的な処理方法とは著しく異なっているのである。まさにそれ故,シィーは,提示された材料を,有意味な像に配列するのに例外的な強さを発揮するにもかかわらず,記憶材料を論理的に組織化するとなるとまったく弱く,彼の「イメージ技術」の方法は,これまで多くの心理学的研究の対象になり,その発達と心理学的構造が研究されてきた「論理的記憶技術」と共通しているものは,何もないのである。この事実から容易に知ることができるのは,強大な像記憶力があるにもかかわらず,論理的記銘の可能な諸手法が完全に無視されているという驚くべき分裂があることである。これは,シィーの場合,容易に示すことができる。
A.R.ルリヤ 天野清(訳) 偉大な記憶力の物語:ある記憶術者の精神生活 岩波書店 pp.67-68
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