われわれによく知られている記憶の法則は,シィーの場合にあてはまらないことについては,すでに述べてきた。
一つの刺激の痕跡は,他の刺激の痕跡を抑制しない。それらの痕跡には,減衰のきざしは何ら認められず,また,その選択性を失うこともない。シィーの場合,記憶容量の限界や記憶材料の長さの限界について研究することができない。時間が経過する中で生じる痕跡の消失の力動性について研究することもできない。また,彼の場合,系列のはじめや終わりの要素の力が,系列の中程の要素よりもよく記憶されるという,いわゆる「初頭終末要因」の作用が生じることがない。しばらく休息すると消失したかに見えた痕跡が再び浮かび上がる,いわゆるレミニッセンス現象も認めることができない。
彼の記憶は,すでに述べたように,記憶の法則というよりも,むしろ知覚,注意の法則にしたがっているのである。つまり,彼が語を再生できなくなるのは,それがよく「見え」なかったり,あるいは,それから,注意をそらした場合なのである。また,彼の想起は,像の明るさ,像のサイズ,像の配置や,無関係な音声によって生じた「斑点」によって像が不明瞭になるか否か等に依存しているのである。
A.R.ルリヤ 天野清(訳) 偉大な記憶力の物語:ある記憶術者の精神生活 岩波書店 pp.72-73
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