シィーの幼い時の記憶の世界は,われわれにくらべてはるかに豊かで,それは,驚くべきことではない。われわれの場合には大分幼い時から記憶装置となっている情報の言語処理装置によって変換されているが,彼の記憶は,変換されていないのである。つまり,意識の形成の初期の段階に特有な,像が直接的に思い浮かぶという特徴を保持していたのである。われわれは,たんに信じただけでなく,時に,聴いたことを検証することをも行なったが,大方,彼がわれわれに話したことを信じることができる。われわれが,注意深く耳を傾けなければならないのは,われわれの前にあらわれる状景についてである。しかも,特に興味あることに,その状景はわれわれが常に疑うことができる事実に関することではなく,シィーにとって非常に典型的な伝達のスタイルに関するものである。
A.R.ルリヤ 天野清(訳) 偉大な記憶力の物語:ある記憶術者の精神生活 岩波書店 pp.88
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