現在,親たちの義務教育に対する期待に大きなばらつきが生じているのは,ある意味で歴史の必然です。かつての大衆教育社会では,どんな生まれの子どもでも,学校教育を受けることで,中卒や高卒の親よりも高い学歴に進んでいました。ですから当時の家庭の多くは,わが子が学校に適応できるように努めていましたし,学校がわが子の大学進学を可能にしてくれるだろうと期待し,わが子をほぼ全面的に委ねていたわけです。ですから,あの時代にはモンスター・ペアレントなど存在しようがありませんでした。
しかし,学歴分断社会になると,大卒の親と非大卒の親とで,異なる教育方針をもつ傾向が顕著になってきます。しかも家庭教育を重視する教育政策によって,その違いはさらにはっきりしたものになりつつあります。
経済成長が著しかった時代は,親子の学歴の関係や,教育方針の階層による違いも,そうした社会の大きな変化に隠れてさほど目立ちませんでした。それがいまはストレートに教育現場に表れるようになっているのです。
いま,この国の父母の半数が大卒学歴であるのに,子どもたちの半数しか大学進学をめざさないというのが,教育現場の実情です。もはや小中学校は子どもたちの学歴を引き上げる装置ではなく,大卒と非大卒が半々の比率である親たちから子どもを預かり,再び半々に振り分ける「交通整理」をするところへと役割を変えているのです。わたしたちは,この現実を正確に理解したうえで,「教育格差」として語られている小中学校での出来事を考え直す必要があるのではないでしょうか。
吉川 徹 (2009). 学歴分断社会 筑摩書房 pp.186
PR