意外に思うかもしれませんが,かつての総中流社会で,いまのニートのように年長世代から厳しいバッシングにさらされたのは,一部の大学生でした。かれらはレジャーランド化した大学で,親のすねをかじりながら毎日気楽に遊び暮らして,ろくに知識を身につけることもなく,ただ大卒というカードを手にするためだけに4年間を過ごしている,とみられていました。そうした点が,大学に行きたくても行けなかった年長世代から批判されたのです。それはまた,高校卒業後ただちに就職して高度経済成長を下支えした数多くの同年代の勤労青年たちと比べると,人生設計がしっかりしておらず,気楽さが目立つという批判でもあったわけです。
ところがいま,目的や計画をみつけられず,働くつもりもない若者の一部は,とりあえず大学に行こうとも考えていないのです。昭和のモラトリアム大学生は,平成のニートよりは人生のことをまだしも考えていたということができるかもしれません。
吉川 徹 (2009). 学歴分断社会 筑摩書房 pp.215-216
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